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人間の認知範囲なんてそんなもんさと、鳥が囀った

加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

 

 

著者の加藤陽子さん、東大の教授で専門は日本現代史、ご本人はこの本の中で

(専門は)1929年の大恐慌、そこから始まった世界的な経済危機と戦争の時代、なかでも1930年代の外交と軍事です。

と語っています。

 

その加藤さんが神奈川県の栄光学園の高校生に対して、日本が明治以降戦った5つの戦争について、「国際関係、地域秩序、当該国家や社会に対していかなる影響を及ぼしたか」をテーマに行った5回の講義を書籍化したものです。

 

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この本に掲載されている講義風景です。

 

5つの戦争とは、

  • 1894年 日清戦争
  • 1904年 日露戦争
  • 1914年 第一次世界大戦
  • 1931年 満州事変から日中戦争
  • 1941年 太平洋戦争

なんですが、明治維新が1868年、その25年後にはもう中国と戦争をおっぱじめ、その後、太平洋戦争での敗戦までわずか50年です。

 

あらためてこう並べてみますと、50年間戦争しっぱなしの国ってことがよくわかります。その間、いわゆる庶民(国民)はどのように自分たちの国を見ていたんでしょうね。

 

それにはあまり答えは出してもらえませんが、それぞれの戦争について、その時の国際情勢の中の日本という視点ではかなり客観的に書かれているように思います。まあ学者ですから当然なんでしょうが、ああそうなの!?と思うことも多く面白い本です。

ただ、文体が講義形式になっていることと、時々学生に質問を投げかけ、学生がそれに答える会話形式になるところもあり、読みにくく感じる部分もあります。

 

そうしたこともあり、読み終えての印象は、何やらぼんやりしている感じです。

 

どちらかといいますと私自身明確な主張を持ったものを好む傾向があるのか、著者の立ち位置がはっきりしない印象を受けます。

高校生に、こうした事実もあるよ、こうした視点もあるよと客観的事象を講義する目的なんですから、それを望むのなら他の論文形式のものを読むべきだと言われそうですが、ただ、気になるのは、客観性っていうのは常に、その時その状況下に置かれた個人の視点が見えにくくなる危険性をはらんでいるように思います。

例えば、なぜ太平洋戦争は起きたかと問題を立てた場合、中国での拡大を狙う日本、ヨーロッパでドイツと対立し始める英国、太平洋に出たがっているソ連、ヨーロッパであれアジアであれ直接対決を避けたがっているアメリカといった風に、国家間の力関係によるバランスゲームの視点に近くなります。

著者も

ここまでは、どちらかと言えば、戦争にともなう技術の話、当時の軍国少年・少女がきっと胸を躍らせてラジオにしがみついて聞いていたに違いないような話をしてきました。

と、やや自嘲気味に語ってはいますが、じゃその後何を語るべきかがはっきりしていません。

 

その戦争をやった主体はどう考えていたのか? 天皇、政府、軍部、政治家、知識人、庶民、それぞれは何を考え戦争に突っ走ったのか?

 

この本はそれに答えを出すことが目的ではなく、学生たちに最後にはその視点で答えを出してほしいと考えているようではあります。最後に、いくつか問いを立てています。

 

それでも日本人は必勝を信じていたのか

とのタイトルになっている部分では、国民への情報が分断されていた、例えば戦死者数は狭い範囲では情報提供されているがそれを全国レベルで合計できないようになっていたと言います。

 

戦死者の死に場所を教えられない国

では、こういうことも語っています。

日本古来の慰霊の考え方というのは、若い男性が、未婚のまま子孫を残すこともなく郷土から離れて異郷で人知れず非業の死を遂げると、こうした魂はたたる、と考えられていたのですね。つまり、戦争などで外国で戦死した青年の魂は、死んだ場所死んだ時を明らかにして葬ってあげなければならない。

これ折口信夫の引用かもしれませんが、それに続いて折口が弟子・藤井春洋を思って詠んだ歌「きさらぎの はつかの空の月ふかし まだ生きて子は たたかふらむか」について、

むざむざ必敗の戦いに愛する若者を引き込んだ国家への静かな怒りが伝わる歌です。

と被害者意識が強調されます。

 

満州の記憶

では、ソ連軍によるシベリア抑留と満州からの引揚げ体験の過酷さを語り、ただそこにはある種強制的な分村移民という手法が行政によって取られていたということです。

 

捕虜の扱い

アメリカのある団体のデータによれば、ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率1.2%に対し、日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%だということです。

これについて、著者は「自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格」ということで説明しており、以下に日本軍が兵站というものを軽く考えていたかといいます。

著者は語っていませんが、現地調達で戦争をすればどうなるかと言えば、略奪、そしてそれを隠すための虐殺です。

 

問題の立て方がかなり曖昧ではあります。

 

ところで、この加藤陽子さんが紹介したとされている中国の 胡適 という方が1935年に発表した論文「日本切腹中国介錯論」が興味深いですね。

ググってもらえばいろいろ出てきますが、簡単に言いますと、満州事変が1931年、日中戦争の発端となる盧溝橋事件が1937年ですから、中国では日本の侵略行為にどう対処するかが大問題だった頃だと思いますが、この胡適さんは、日本が攻め込んでくればおそらく中国はかなりの犠牲を払う事になるだろう。しかし、2,3年頑張っていれば、ソ連や英米が参戦し最後は中国が勝つことになるだろうと予言的に主張したということです。

 

ウィキペディアにその部分がありましたので引用しておきます。

中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。この絶大な犠牲の限界を考えるにあたり、次の三つを覚悟しなければならない。第一に、中国沿岸の港湾や長江の下流地域がすべて占領される。そのためには、敵国は海軍を大動員しなければならない。第二に、河北、山東、チャハル、緩遠、山西、河南といった諸省は陥落し、占領される。そのためには、敵国は陸軍を大動員しなければならない。第三に、長江が封鎖され、財政が崩壊し、天津、上海も占領される。そのためには、日本は欧米と直接に衝突しなければいけない 我々はこのような困難な状況下におかれても、一切顧みないで苦戦を堅持していれば、二、三年以内に次の結果は期待できるだろう。(中略)満州に駐在した日本軍が西方や南方に移動しなければならなくなり、ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。世界中の人が中国に同情する。英米および香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ、極東における居留民と利益を守ろうと、英米は軍艦を派遣せざるをえなくなる。太平洋の海戦がそれによって迫ってくる。(中略)以上のような状況に至ってからはじめて大西洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は「日本切腹、中国介錯」というこの八文字にまとめられよう。
— 「世界化する戦争と中国の「国際的解決」戦略」、石田憲編『膨張する帝国 拡散する帝国』東京大学出版会

 

見事にあたっています。