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@半径とことこ60分

人間の認知範囲なんてそんなもんさと、鳥が囀った

シン・ゴジラ=描かれているのは「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」ではなく、「現実(ニッポン)対現実(セカイ)」

映画

なにげなくネットニュースやらツイッターやらを見ていましたら、「シン・ゴジラ」に関するこんな記事を発見。

gendai.ismedia.jp

 

別ブログで映画の感想やレビューを書いている手前、ちょっと気になり読んでみましたら、「ああそうだね、そこまで読み切らないとマズいかもね」と、自分のブログには「こういう映画は面白ければいい」などと書いていることが少しばかり恥ずかしくなりました。

ausnichts.hatenablog.jp

 

辻田真佐憲さんはこう言っています。

ただの怪獣映画と侮ってはならない。娯楽映画であったとしても、その内容や消費のされ方には、時代や政治の動きが反映される。

もちろんそうですが、で、何が反映されているかといえば、「シン・ゴジラ」で描かれている政治家や官僚たちが、当初無能ぶりをみせながらも、いざとなれば、奇妙な底力を発揮し、強大国アメリカや世界を牽制しつつ、ゴジラを倒し勝利する様に、

日本はたしかに衰退している。だが、われわれには秘められた力がある。立派な指導者さえ出てくれば、この国はまだまだやれる。対米従属だって打破できるし、科学技術力を世界に見せつけることだってできる――

という、日本の底力信仰があらわれており、その危機を政治家や官僚たちが「覚醒」することで勝利し、皆溜飲を下げるという構図(願望)になっていると言います。

 

こうした絶体絶命の危機にヒーローが現れて勝利へと向かう展開は物語の王道ですから、そこまで読むことにはどうなんだろうとは思いますが、それでも、この映画の特殊性は、問題となる最終的な「危機」が、ゴジラそのものというよりも、熱核攻撃(=日本消滅)を決めた国連決議をどう阻止するかという点にずらされていることです。

つまり、そこには確かに、「世界」に追い詰められた「日本」、そしてそれを挙国一致(ヤリオリ作戦)で挽回するといった構図(願望)があること間違いないでしょう。

ただ、その危機を救うのが、辻田氏が言う「立派な指導者」という際立ったヒーローではなく、臨時総理となった里見祐介農林水産大臣(平泉成)という二面性を持った黒幕的存在であることは、ある意味、今の日本の状況を象徴しているのかもしれません。