@半径とことこ60分

人間の認知範囲なんてそんなもんさと、鳥が囀った

今月の挫折本「abさんご」と推薦本「abさんご(毬、タミエの花、虹)」

abさんご

abさんご

 

 史上最高齢の75歳で芥川賞を受賞された黒田夏子さんの「abさんご」を読み始めたのですが、全く進みません。何度挑戦しても一ページ目ではじかれます。

いかに漢字という文字が優れているか思い知らされます。

aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから,aにもbにもついにむえんだった.

書き出しを引用してみましたが、丁寧に丁寧に一文字ずつもらさず拾って、「aという学校とbという学校のどちらに行くのかと」といった具合に組み立て、やっと思考回路に到達します。さらに、言い回しが独特で「会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが」など「誰が誰に会って、誰が聞いたのか」普通はすぐには整理できないでしょう。

そうした文章が、横書きで、句読点がほとんどなく、その句読点もコンマ、ピリオドの英文式ときていますので、挫折もやむを得ないでしょう(笑)。

ネット上に「早稲田文学」新人賞受賞時のフリーペーパーがありましたのでリンクを貼っておきます。ビジュアルも貼っておきます。

http://www.bungaku.net/wasebun/pdf/WB25WEB.pdf#page=5

f:id:ausnichts:20140305160950p:plain

なぜ、こうした手法を使って書いたのかはよく分かりませんが、実はこの本には、表題作以外に、黒田さん26歳の時のデビュー作「毬」他二編も収録されています。

毬、タミエの花、虹

「毬」は、1963年に読売短編小説賞を受賞し、読売新聞に発表された作品らしいのですが、これがとても瑞々しくも新鮮ですばらしいです。

文体的には、「abさんご」に近いものがありますが、こちらは縦書き漢字交じりですし、装丁的には通常の右綴じとなっており、比較的読みやすくなっています。

この三編、タミエという、多分小学生の低学年くらい、あるいは、徐々に学年が上がっているのかも知れませんが、いずれにしても小学生の女の子を主人公にしています。

このタミエが、何と言いますか、無垢ゆえの邪悪さ?、んー、ちょっとばかり違いますが、そうした子供の悪さをやや(一つは相当)超えた行いをします。ただ、文体のせいなのか、突如登場する「私」の記憶を語っている風からなのか、それらの行為がどことなく幻想めいていて、紗越しの風景のような手の届かない感覚を抱かせます。

「毬」のタミエは、毬突きをしていた毬がやぶれたため、隣町のおもちゃ屋まで行き、盗んでしまいます。それは出来心ではなく、「タミエが無一文であるからには、手に入れるということは買うということとは違う」ことを分かって、なおかつ二三軒物色して行為に及んでいます。

「タミエの花」では、近くの里山で、見知らぬ男から花の名前を聞かれ、嘘の名前を教えます。噓といっても、タミエが自分で考えた名前という意味ですが、ただ「タミエは噓が巧いから、ありそうもないような空想的な名にはしない」という自覚はしています。そもそもその里山は、時に学校をサボったりして一人遊びに登ったりする場所なのです。

尤もこの作品の主題は、相当に草木に詳しい男にとってはタミエの噓は分かっているわけで、次々に草木の名前を語る男に対して、タミエが自ら名前をつけて自分の世界と考えるその場所を男に脅かされているような対抗心を持ち、ささやかな抵抗を試みるという子供らしい背伸び感覚だとは思います。

「虹」は何とも不気味な話です。虹を見たことがないというタミエは、「ときどき、天啓のような工合に、今日は学校へ行くのをやめよう」と思うことがあり、サボって浜辺に行きます。その日は、「どこまでもどこまでも行ってみよう」と、浜辺をどんどん進み、やがて海に注ぐ川岸まで来ます。なぜか、「かなりの間、タミエは川口に見入って」いたのですが、ふっと目を上げると、大きな虹が目の前に架かっているのです。そして、タミエは思い出します。

ごく幼い、二歳半か三歳ぐらいのタミエが、この川に突落として殺した、一人の赤児のことを。カッチャン、といった。そうだ、カッチャンという呼名のその赤児は、タミエの弟なのであった。事故ではなかった。過失ではなかった。殺したいと思って殺した。
(略)
そしてその真昼、この川の向こうに、まさにこの川の向うに、美しいものが見えていた。

ということなんですが、この作品、どう読むべきか悩みますね。

いずれにしても、三編共に、相当自我の強いタミエ像が浮かんできます。家庭や学校といった子供にとっての日常空間ではない、隣町や里山、浜辺といった異界ともいうべき外の世界へ、何の迷いもなく一人で出掛けていき、自由に行動する、つまりタミエはそこを自分の場所と感じているということでしょう。

黒田さんが幼い頃に見ていた世界なのかも知れません。 

感受体のおどり

感受体のおどり