@半径とことこ60分

人間の認知範囲なんてそんなもんさと、鳥が囀った

村田沙耶香「タダイマトビラ」私には白馬の王子様幻想の変奏曲に思えるのだが…

タダイマトビラ

タダイマトビラ

 

 読み始めた十数ページは、どことなく新鮮なものを感じて、結構期待したのですが、その後読み進んでも、観念的なあるテーマから一向に拡がりをみせない展開にややうんざりし、何とかラストにたどり着いたものの、ちょっといただけないエンディングでとても残念でした。

観念的なあるテーマというのは、すでに家族幻想、あるいは家族内ロールプレイが顕在化している現代にあって、家族愛とは何かということでしょう。

小学四年の恵奈は、父母と弟の四人家族です。母は、子どもの、あるいは人の愛し方を知らない人で、なぜ生んだからといって子どもを大切に思えるのだろうかと疑問に思うような人です。だからといって育児放棄というわけではなく、義務として機械的に家事はこなしています。

父は、そんな妻に嫌気がさしたのか、あるいは逆にそもそも夫の行いが原因なのかも知れませんが、いずれにしても他に女性がいるらしく、家に帰る日も徐々に少なくなっている状態です。

弟は、母の愛や家族の温かさに飢えており、やや引きこもりがちで、将来に不安を感じさせます。

恵奈自身はと言えば、かなり利発な子で、こうした家族関係を、彼女自身の言葉で言えば、自分自身が工夫することで乗り越え、受け入れています。その工夫というのが、自分の部屋のカーテンをニナオと名付け、それに包まれながら会話する行為で、自身の愛の欠乏感を癒すことです。恵奈は、その行為をカゾクヨナニーと名付けています。つまり精神的な家族愛自慰というわけです。

物語は、こうした環境にある恵奈の小学四年、中学二年、そして高校二年が描かれ、恵奈は、いつか本物の家族を手にすることを願っています。

冒頭は、出産イメージとも思える抽象的な描写から始まり、その後、母性愛についての問いとも言える描写があり、そして、愛を感じられない子どもはどうなるのだろうという現代的テーマが提示され、これが深まっていけば面白いなあと期待させられます。

ところが、恵奈の年齢は上がれど、それぞれの関係が一向に変化せず、恵奈自身も成長しないんです。というより、逆で、作家の今が恵奈の全ての時代に反映されているということなのかも知れません。

成長しないのは恵奈だけではなく、登場人物みなほとんど変化しません。母はいつまで経っても機械的に家事をこなす顔の見えない存在ですし、父は、そういえばほとんど描写がなく、ラスト近く、母ともども、突如変心する様はあまりに滑稽です。

まあ、それを描こうとした小説ではないと言ってしまえば、それはそうなんですが、何だか物足りないですね。せっかく、出産、母親、母と娘の関係といったことについて、女性にしか語れない物語が、たとえば、私は、読み始めてしばらくは、出産や子育て(子育てが女性の仕事という意味ではない)への不安や女性性への嫌悪的なものがベースにあるのかなと感じましたし、何か知らない物語が始まりそうな予感を感じました。

それに、家族愛の欠乏を満たそうとするカゾクヨナニーの対象ニナオは、明らかに男性性ですし、高校生の恵奈が、本当の家族として幻想を持つ大学生浩平との同棲も、男からの「愛している」という言葉の連射砲のようなイメージで描かれ、白馬の王子様を恋い焦がれるお姫様の現代パターン?と首をひねってしまいます。

ただ、この小説は、それを肯定しているわけではなく、ラスト、恵奈は、白馬の王子様も嘘っぱちだと気づき、なぜだか、ちょっと理解不能な形而上的世界へ行ってしまいます。