@半径とことこ60分

人間の認知範囲なんてそんなもんさと、鳥が囀った

小山田浩子「工場」飛び立てない黒い鳥が何とも不気味な滑稽さを…

工場

工場

 

 本を読み始める時って、まずは、ぱらぱらぱらと、全体はどんな感じかなと確認しようとしませんか? 私はします。

で、びっくり! 改行がほとんどありません。最後まで、全てのページに文字がびっしりです。さらに、読み始めてびっくり! ひとつの段落の中に、通常改行されるだろう会話文も描写文もごちゃ混ぜになっています。

何とも、見通しの悪い小説です。

当然ながら、意図してやっているわけで、この「見通しの悪さ」こそが、「工場」の本質であり、それを疑似体験的に味わわせてくれているのだと、読み進むにつれ、やがて気づくことになります。

最初は戸惑いますが、文章のリズムもそこそこ悪くはなく、読むに苦労はしません。ただ、内容が余りにも些末なことの連続で、それが狙いだと分かっていても、ついつい集中力をなくし、文字を追っているだけの状態になってしまいます。

巨大な工場で成り立っている町、というより、工場以外の描写もありませんし、工場内で生活の全てが完結するような巨大な空間が舞台です。空間と書きましたが、これも正しくないですね。工場のイメージはどこまでも続く平面的なイメージで、空間という言葉からくる垂直イメージは全くありません。何を生産しているかも分からない巨大な工場、まあいうまでもなく「世界」そのものの暗喩でしょう。

そこで新しく働くことになった三人、正社員の募集に応募したのに、なぜか契約社員として雇用され、何だか分からない書類を一日中シュレッダーにかけることになった牛山佳子、大学でコケの研究を生涯の仕事かと思っていたところ、突然教授から工場への就職を勧められ、目的のわからない環境整備課屋上緑化推進室という一人だけの部署に勤めることになった古笛、勤めていた会社をクビになり、派遣社員として工場に勤務し、これまた何の意味があるのか分からない赤ペンでの校正作業をすることになった牛山の兄、この三人の先の見えない、いつ終わるとも知れない、不毛な日常が書き綴られます。

まあ、どう考えても、巨大な工場=世界の中の我々の存在そのものということ以外にないんですが、中盤から「黒い鳥」が頻繁に登場するようになります。実は、冒頭も「工場は灰色で、地下室のドアを開けると鳥の匂いがした」の一文で始まります。

この「黒い鳥」は一体何者なのか?

正直、斜め読みしてラストにたどり着いた私には分かりません(笑)。ただ、多くの鳥が持っているイメージ、飛翔、自由、俯瞰といったものは、この「黒い鳥」には全くありません。

ウのような黒い鳥は全身が隈なく真っ黒に光って土手に座り込み、あるいは体の半分を水に浸けて立ち尽くして工場を見ている。近づくと飛び立つものもいたが飛び去ってしまうわけではなく数メートル飛んでまた地上に降りてきた。

 河が海になるまさにその場所の少しだけ手前。その地点に限って言えば立錐の余地がないほどに黒い鳥たちは密集している。寒いのか、習性なのかわからないが、じっと身を寄せ合い工場を見つめている様は奇妙である。

飛べない鳥、土手に座り込む鳥、鳥が「座り込む」ですよ、何ともやるせないですね。これが現代の我々ということなんでしょうか。 

で、ラスト、牛山佳子は「黒い鳥」になってしまいます。あるいは、半分水につかった状態でじっと工場を見つめている自分を感じ、「人の足が見え」る視点にいる自分を感じます。

ということで、もしこれが作者の意図したことだとしたら、文体の鬱陶しさに比して、内容は比較的分かりやすいものということになります。

ただ、この小説の意図するところは、そうした、割と今やありふれた世界観を語ることではなく、その世界観自体を、言葉の渦の中に身を置くことで疑似体験することにあるのではと思います。

その意味では、私は、この本、読了せず、挫折したということになります。

 

ディスカス忌」

この単行本には、三編が収録されていますが、その二編目です。これはいいですね。

金持ちの息子ゆえ、働かずとも熱帯魚に執着し若い妻と暮らす浦部を、斉木と僕が訪ねる話です。さほど特別な設定ではないのですが、何とは言えない不穏な空気が全編を覆い、どことなく居心地の悪さを感じさせます。

ディスカスは、熱帯魚の名前らしく、浦部は、過去に道楽で熱帯魚店を開いたこともあり、ディスカスの繁殖にかけては、ちょっとした名人とのこと。訪ねることになったわけは、子供が生まれたので見に来いと斉木が誘われ、僕は斉木から誘われたからです。

男たちは、皆四十歳くらい、浦部と斉木は熱帯魚を介した友人、そして僕は斉木とは友人ですが、浦部とは初対面です。その僕は、自身はさほど気にかけているようには見えないのですが、その妻は子どもが欲しくとも出来ず、不妊治療をしようかと持ちかけています。

そうした生殖の話、赤ん坊を抱いた二十歳の浦部の妻のちょっと異質な存在感、熱帯魚の繁殖、水槽の中を浮き沈みする卵、浦部が話す、六、七年前、ひもじさのあまり夜中に熱帯魚店に忍び込み、えさのエビを食べる小学生の女の子の話、あるいはその小学生が今の妻ではないかと思われる節があること、そうしたそれぞれは直接関連してはいないのに、どこかでつながっていそうな要素がちりばめられており、極めつけは、そもそも、この話自体が、浦部が亡くなったというところから始まるのです。

亡くなった理由は語られず、また、なぜかその妻は葬式にはいなかったと斉木は僕に語ります。

ラストは不気味です。僕の妻が、今月も月経が来たと布団の中で泣き、僕は、なぜ浦部は死んだんだろうと考え、目を閉じるとディスカスの稚魚のことが頭に浮かび、

稚魚は急に尾っぽを動かすのをやめ、水面へと浮かんでいった。ふと目を開けると、妻がこちらを見ていた。見開かれた両目が鏡のように光っていた。

20ページほどの短編ですが、 映画に出来そうな気がします。

 

「いこぼれのむし」

三編目は、「工場」と同じような文体を見て、挫折です(笑)。

穴