@半径とことこ60分

人間の認知範囲なんてそんなもんさと、鳥が囀った

安倍一強政治は言葉の意味まで変えてしまうって、まじですか!?

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首相の「そもそも」、大辞林では… 答弁書で発言正当化:朝日新聞デジタル

 

ことの経緯を記事から引用しますと、

 首相は1月の衆院予算委員会で、「共謀罪」の適用対象について「『そもそも』罪を犯すことを目的としている集団」と答弁。「そもそも」を「元から」という一般的な意味でとらえると、オウム真理教のような団体が対象外になると追及された。

 4月の衆院法務委では「『そもそも』の意味を辞書で調べたら『基本的に』との意味もある」と説明。ネット上で「辞書を調べたが『そもそも』の意味を『基本的に』とするものは1冊もない」などと話題になり、野党から「詭弁(きべん)を弄(ろう)し(答弁の揺らぎを)ごまかしている」と指摘された。

 で、質問主意書が出されたので、上の引用の画像のように「そもそも=どだい=基本」と閣議決定したということです。

 

安倍本人は置いておいても、閣僚や官僚たちって何考えているの?

 

恥ずかしくないのでしょうか? プライドはないのでしょうか?

 

官僚の皆さん、ほぼ東大出でしょう。答弁書って、あなた達が作ってるんでしょう。疑問を感じないの?

 

ハンナ・アーレント読めと言いたくなります。

 

mainichi.jp

ダニエル・ケールマン著『僕とカミンスキー 盲目の老画家との奇妙な旅』瀬川裕司訳

僕とカミンスキー

僕とカミンスキー

 

映画を見て原作を読みました。

 

ausnichts.hatenablog.jp

 

びっくりするくらい映画と同じでした。ああ、逆ですね、映画がほぼ原作通りに撮られていました。

 

細かいところまでかなり忠実でした。たとえば、セバスチャンがカミンスキーを連れ出す時のメイドさんとのお金の交渉でメイドさんが金額を釣り上げていくところとかも原作通りでした。

 

ここは違うというところは、割と重要なところでは、原作ではセバスチャンはカミンスキーの自画像を盗んでいませんでした。あとは車がジャガーではなくBMWであるとか(笑)、そんなところでしょうか。

 

この小説の単純な感想としては、映画を見ていなければ、さほど興味を持って読み進むことはなかっただろうという感じです。

 

一番の理由は、人物に対する距離感が取りづらいということです。映画のレビューでも書きましたが、小説も同じように、読むにつれ没頭していくというタイプのものではなく、ちょっと引いたところで、セバスチャンであれ、カミンスキーであれ、それぞれの人物をながめるという位置に読み手が置かれるということだと思います。

 

セバスチャンはとにかく利己的な人物であり、何でも自分のいいように取ってしまいますので、なかなか共感しにくいことと、仮にそうであっても、多くの場合多少は内省的な部分があるように人物がつくられますが、このセバスチャンは徹底的にエゴイストであり、映画ではダニエル・ブリュールのキャラクターのせいか憎めない感じもありましたが、小説では徹底的に嫌なやつです。

 

映画ではラストがはっきりしませんでしたが、小説でははっきりとセバスチャンの改心(?)が描かれています。多分これは、ヴォルフガング・ベッカー監督が意図的に曖昧にしたのではなく、結果として、言葉の明確さと映像の曖昧さが出たんだと思います。

 

同じ意味ですが、テレーザの現在の状態も、映画ではジェラルディン・チャップリンさんのきりっとした立ち振舞いゆえに、あるいはボケたふりをしているのではと思いましたが、違いますね、ボケているかどうかは分かりませんが、断片的に記憶が出てくるだけで、テレーザの記憶の揺れはさほど深い意味ではないと思います。

 

単純にカミンスキーは再会に失望するということだと思います。ただ失望しても、もうすでにそれがカミンスキーの人生に大きな影響をおよぼすことはありません。

 

いずれにしても、基本的テーマはセバスチャンの改心でしょう。

 

ただ、人間、そう簡単には改心できません。

 

何もないことを捨てるなどという「無」の境地にはそんなに簡単には到達できません。

 

ラストは、やや安易ということでしょう。

 

ところで、映画では、カミンスキーの娘ミリアムが10年前にテレーザを訪ねたくだりで、手紙を破いたのはテレーザととれる字幕になっていましたが、そうではなく、カミンスキーからテレーザへの過去の手紙をミリアムが取り返しにいき、ミリアムが破いたということです。多分、字数の制限による不正確さでしょう。

 

 

内閣総理大臣が堂々と憲法改正を謳っていいの? 内閣の憲法改正発議は憲法違反

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安倍首相 憲法改正し2020年施行目指す意向を表明 | NHKニュース

 

行政の長である内閣総理大臣が自ら三権分立の原則を犯し憲法違反の演説をしても、立法府も司法も何も言わず、過去第四の権力ともてはやされたマスコミも大本営発表のごとくただ報じるのみですか…。

 

日本国憲法には内閣が憲法改正議案を国会に提出することを否定する記述はないので認められるとの屁理屈があるようですが、憲法改正くらい正攻法、つまり一議員として自民党を率い三分の二を持って発議すればいいのにと思います。

 

とにかくほぼ独裁国家に近い状態になっています。金正恩委員長とは言わないまでも、エルドアン大統領くらいにはなっていますね。

 

忖度の国、裏口法が可能な国では、民主主義も独裁への道につながります。

 

明治維新 1868年、太平洋戦争敗戦 1945年、その間 77年です。今年2017年、敗戦から 72年、そろそろ戦後体制も制度疲労、澱が溜まって機能しなくなっているのではないでしょうか。

 

その意味では憲法改正も必要でしょうが、それは決して自衛隊の国軍化が最優先事項ではないでしょう。